1977年に放送された、(第1回)アメリカ横断ウルトラクイズに釘付けになった。
単発番組だと思っていたが、翌年に第2回が放送され、これも食い入るように観た。
第3回、第4回と放送され、自分も出場して、絶対に勝ち残りたいという思いが募っていった。
そして・・・・・・
私がアメリカ横断ウルトラクイズに初めて出場したのは、1982年の年末に行われた、「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」だった。
これ以降、最後のウルトラクイズとなった1998年の「今世紀最後 アメリカ横断ウルトラクイズ」まで、皆勤出場している。
「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」は、ウルトラクイズの番外編。
日本国内各地で行った予選の勝者を、東京に集めて優勝者を決めるという、今の高校生クイズスタイルの内容だった。
放送は1982年12月31日。TBS日本レコード大賞や、NHK紅白歌合戦の裏番組だ。
ちなみに、視聴率は11%だったらしい。
私は後楽園球場で行われた、関東ブロック予選に出場。
日時は1982年11月30日(火)の夕方からで、とても寒かったのを覚えている。
第1問目と第2問目は、後楽園球場のゲート前で同時出題された。
第1問 「ウルトラクイズ史上、敗者復活で甦り、チャンピオンになった人がいる」 ○? ×?
第2問 「ウルトラクイズの決勝地、パンナムビルの屋上から、自由の女神は見える」 ○? ×?
「○○」「○×」「×○」「××」のうち、正しいと思う答えの組み合わせを選び、分かれて入場する。
1問目の答えは、すぐにわかった。ウルトラマニアですから。
しかし2問目がわからん。
結局、2問目は「×」という結論を出し、「○×」ゲートから入場。
そして結果は・・・・・・
第1問はもちろん正解!
ところが第2問の答えは「○」で、ここで失格となってしまった。
初めての挑戦はあっけなく終わってしまい、とても残念ではあったが、テレビで観ていたあのウルトラクイズを体感できたことで、気持ちは充実していた。
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