前年の第7回ウルトラクイズは、後楽園予選1問目で失格してしまった。
仮に1問目を正解したとしても、その後の問題で間違えていた。
そして思ったことは、このままでは何回挑戦しても、激戦の後楽園予選を勝ち抜けることはできないだろう、ということだ。
後楽園予選で出題される○×クイズは、だいたい7~8問を正解し続ければ、勝ち抜けられる。言ってみれば、たった7~8問なのである。
だからこそ、答えを知っている問題が1問でも出れば、勝ち抜ける確率はグンと上がるのだ。
そこで、「知っている問題」を少しでも増やすため、第7回ウルトラクイズの後楽園予選が終わった直後から、○×クイズの対策を始めることにした。
対策といっても、たいしたことをしたわけではない。
当時は雑学本ブームで、雑学本が次々と出版されていたので、それらを買っては読み、買っては読み、ということを繰り返した。
さらに古本屋を巡り、過去に出版された○×クイズのネタとなりそうな本を探し歩いた。
本、雑誌、新聞、テレビ、ラジオなどから得た、○×クイズのネタになりそうな情報を書き留め続け、それを元に自分で○×クイズを作った。
当時NHKで放送されていた、『クイズ面白ゼミナール』という番組のオープニングに、○×クイズ(ホント・ウソクイズ)のコーナーがあったのだが、そこで出題される○×クイズがかなり良質で、ウルトラクイズでも同じ問題が何問か出題されていた。
そこでこの番組を毎週録音し(まだビデオデッキは持っていなかったので、録画ではなく録音)、出題された○×クイズを書き留め続けた。
当時TBSで『クイズ天国と地獄』という、○×クイズのみが出題される視聴者参加クイズ番組があった。
これを毎週録音し、出題された○×クイズを書き留め続けた。
まあ、毎週きっちり録音して書き留めていたわけでもなく、忘れてしまったり、めんどくさくて飛ばしてしまったこともずいぶんあったが。
要するに、自分に義務を課すようなものではなく、趣味として、楽しくお気楽にやっていたという感じだ。
結果として、○×クイズの攻略法というか、考え方が身についたように思う。
そして迎えた第8回アメリカ横断ウルトラクイズで、これらの行為は大きな成果をもたらしてくれた。
つづく
仮に1問目を正解したとしても、その後の問題で間違えていた。
そして思ったことは、このままでは何回挑戦しても、激戦の後楽園予選を勝ち抜けることはできないだろう、ということだ。
後楽園予選で出題される○×クイズは、だいたい7~8問を正解し続ければ、勝ち抜けられる。言ってみれば、たった7~8問なのである。
だからこそ、答えを知っている問題が1問でも出れば、勝ち抜ける確率はグンと上がるのだ。
そこで、「知っている問題」を少しでも増やすため、第7回ウルトラクイズの後楽園予選が終わった直後から、○×クイズの対策を始めることにした。
対策といっても、たいしたことをしたわけではない。
当時は雑学本ブームで、雑学本が次々と出版されていたので、それらを買っては読み、買っては読み、ということを繰り返した。
さらに古本屋を巡り、過去に出版された○×クイズのネタとなりそうな本を探し歩いた。
本、雑誌、新聞、テレビ、ラジオなどから得た、○×クイズのネタになりそうな情報を書き留め続け、それを元に自分で○×クイズを作った。
当時NHKで放送されていた、『クイズ面白ゼミナール』という番組のオープニングに、○×クイズ(ホント・ウソクイズ)のコーナーがあったのだが、そこで出題される○×クイズがかなり良質で、ウルトラクイズでも同じ問題が何問か出題されていた。
そこでこの番組を毎週録音し(まだビデオデッキは持っていなかったので、録画ではなく録音)、出題された○×クイズを書き留め続けた。
当時TBSで『クイズ天国と地獄』という、○×クイズのみが出題される視聴者参加クイズ番組があった。
これを毎週録音し、出題された○×クイズを書き留め続けた。
まあ、毎週きっちり録音して書き留めていたわけでもなく、忘れてしまったり、めんどくさくて飛ばしてしまったこともずいぶんあったが。
要するに、自分に義務を課すようなものではなく、趣味として、楽しくお気楽にやっていたという感じだ。
結果として、○×クイズの攻略法というか、考え方が身についたように思う。
そして迎えた第8回アメリカ横断ウルトラクイズで、これらの行為は大きな成果をもたらしてくれた。
つづく
第7回アメリカ横断ウルトラクイズへ出場するために、まずやらなくてはならないことがあった。
前年出場した「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」は、日本国内ですべてのクイズを行う番外編のため、パスポートを持っていなくても出場できた。
しかし本家ウルトラクイズは、パスポートがなければ出場できないのだ。
そこで、ウルトラクイズに出るだけのために、パスポートを取得した。
取得費用は、5年有効の数次旅券で当時8,000円。学生にとって大金だ。
有効期限が切れる5年後までの間に、ウルトラクイズでこのパスポート、使いたーい!
そして迎えた、第7回ウルトラクイズ国内第一次予選。
1983年8月14日(日)、場所はもちろん後楽園球場。
この日の東京は台風の影響で、明け方から雨が降ったり止んだりの天気。
しかし、クイズが始まる午前9時頃には、完全に止んだ。
私は、所属していた大学クイズ研の仲間と出場。全部で30人くらいだったかな。
第1問発表の午前7時から少し遅れて、7時30分頃に後楽園に到着。
第1問 「自由の女神のお返しに、アメリカの人々も、フランスへ自由の女神を贈った」 ○? ×?
調べる手立てもなく、こじつけの理屈と勘で「×」を確信し、「×」へ入場。
セレモニーの後、いよいよ第1問正解発表・・・・・・
何と! いきなり間違えてしまった! 正解は「○」!
グランドへ降りることすらできない、1問目敗退。
もう後は、単なる傍観者。何と虚しいことよ。
クイズ研の仲間も、3問目くらいには全滅。
1983年の夏は、終わった…。
1977年に放送された、(第1回)アメリカ横断ウルトラクイズに釘付けになった。
単発番組だと思っていたが、翌年に第2回が放送され、これも食い入るように観た。
第3回、第4回と放送され、自分も出場して、絶対に勝ち残りたいという思いが募っていった。
そして・・・・・・
私がアメリカ横断ウルトラクイズに初めて出場したのは、1982年の年末に行われた、「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」だった。
これ以降、最後のウルトラクイズとなった1998年の「今世紀最後 アメリカ横断ウルトラクイズ」まで、皆勤出場している。
「ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦」は、ウルトラクイズの番外編。
日本国内各地で行った予選の勝者を、東京に集めて優勝者を決めるという、今の高校生クイズスタイルの内容だった。
放送は1982年12月31日。TBS日本レコード大賞や、NHK紅白歌合戦の裏番組だ。
ちなみに、視聴率は11%だったらしい。
私は後楽園球場で行われた、関東ブロック予選に出場。
日時は1982年11月30日(火)の夕方からで、とても寒かったのを覚えている。
第1問目と第2問目は、後楽園球場のゲート前で同時出題された。
第1問 「ウルトラクイズ史上、敗者復活で甦り、チャンピオンになった人がいる」 ○? ×?
第2問 「ウルトラクイズの決勝地、パンナムビルの屋上から、自由の女神は見える」 ○? ×?
「○○」「○×」「×○」「××」のうち、正しいと思う答えの組み合わせを選び、分かれて入場する。
1問目の答えは、すぐにわかった。ウルトラマニアですから。
しかし2問目がわからん。
結局、2問目は「×」という結論を出し、「○×」ゲートから入場。
そして結果は・・・・・・
第1問はもちろん正解!
ところが第2問の答えは「○」で、ここで失格となってしまった。
初めての挑戦はあっけなく終わってしまい、とても残念ではあったが、テレビで観ていたあのウルトラクイズを体感できたことで、気持ちは充実していた。
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